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大阪高等裁判所 昭和32年(ラ)158号 決定

抗告人(昭三二(ラ)一五九号 相手方) 山口孝男(仮名)

相手方(昭三二(ラ)一五九号抗告人) 山口正子(仮名) 外二名

主文

本件各抗告はいづれもこれを棄却する。

抗告費用は、抗告人山口孝男の申立分は同抗告人の負担とし、抗告人山口正子、同加代子、同孝二の申立分は同抗告人等の負担とする。

理由

一、本件各抗告人等の抗告の趣旨及び理由は、それぞれ別紙に記載するとおりである。

二、よつて先づ抗告人山口孝男及び同山口加代子、同孝二の各抗告について判断する。

右抗告人孝男は、自分は回復の見込なき病人であり、昭和三二年四月○日○○○○○○署を退職後は無収入であり、又抗告人所有不動産は相手方山口正子に不法横領されているので、相手方加代子、孝二に対し月額三〇〇〇円づつの扶養料を捻出することは不能である旨主張しているが、右抗告人審問の結果、及び抗告人提出の診断書によると、抗告人孝男は癒着性脊髄膜炎による根性坐骨神経痛竝に右上腕神経痛のため身体の前屈、歩行に支障を来し、今後相当期間治療を要することが認められ、又右審問の結果によると、抗告人孝男が昭和三二年四月○○○○○○署を退職したこと、相手方山口正子が右抗告人名義の不動産を自己の名義に所有権移転登記をしたため、右抗告人はその移転登記の抹消を求めて訴訟中であることは認められるけれども、右抗告人及び相手方山口正子審問の結果に、本件記録中の大阪家庭裁判所調査官の調査報告書山口正子、加代子、孝二の昭和三二年八月二十日付準備書面及びその添付書類を綜合すると、抗告人孝男は昭和二九年五月より病気のため有給休職となり退職まで本俸月額一七、七〇〇円と扶養手当、勤務地手当の合計の八〇パーセントの支給を受けていたが、退職後、退職金二二一、二五〇円と恩給年額六一、三六〇円を受ける予定であり、又所有土地の地代年額約金一六、〇〇〇円の収入があること、又同居する長男寛治は月収金一三、〇〇〇円、次男雅男は月収金七、五五〇円をそれぞれ得ており、又同居の長女和子も就職していること、正子は、その所有田地に抵当権を設定して、○○信用金庫より一四万円を借受け、その居宅を、他に間貸しその所有土地の地代等により、生活しているけれども、他に特段の収入なく、加代子、孝二等を扶養し、その生活費にも満たず現に加代子の学業費も滞りつつある事情が認められる。抗告人孝男は相手方正子を相手方とする前記登記抹消の訴訟(大阪地方裁判所昭和三一年(ワ)第一三〇六号事件)の判決確定まで、抗告人の扶養義務の留保を求めているが、右事情を斟酌してもその資産状態より見て、なお抗告人山口孝男は、相手方加代子、同孝二に対しこれを扶養するため毎月各金三千円を昭和三二年四月一日より、右相手方等がそれぞれ高等学校を卒業するまで支払うことは、必要であり、これを相当と認めるからこれが支払を命じた原決定は相当である。

三、次に抗告人山口正子の抗告について判断する。

(イ)  抗告人は先づ、相手方孝男の病気は恢復し又不自由な体でも、多少の性格の相違があつても、同居には差支えないものと主張する。通常の夫婦関係においては当然の主張であるが、相手方孝男の審問の結果に、前記大阪家庭裁判所調査官の調査報告書離婚調停申立書、及び抗告人孝男の抗告状の一部等を綜合すると、抗告人山口正子と相手方孝男は、性格の相違等のため、かねてより激しい対立をくりかえし、相手方孝男が昭和二四年八月に肺結核にかゝり、昭和二六年椎骨切除の手術を受けた事情もあつて、同年頃より夫婦別居の状態となつたが、昭和三一年一月頃抗告人正子が相手方に無断で、相手方孝男名義の不動産を自己名義に所有権移転登記を経由したことから、双方の対立はますます激化し、相手方孝男は正子を相手どり前記の如く大阪地方裁判所に右移転登記抹消の請求訴訟を提起する一方、又大阪家庭裁判所における離婚の調停も不調となつたので、大阪地方裁判所に離婚の訴を提起し、現に係争中であることが認められる。かかる情況においては、相手方は同居を拒むべき相当の事情があるといい得るから、原判決において抗告人正子の同居の申立を却下した部分は相当といわなければならない。

(ロ)  次に抗告人正子の扶助の申立については、前記(イ)に記したとおり、右抗告人と相手方孝男との間には現に離婚訴訟が係属中であり、又相手方孝男審問の結果や前記大阪家庭裁判所調査官の調査報告書によると、抗告人正子は、現に居住する建物の一部賃貸等のほかその名義の不動産を処分するにおいては、生活することも可能であるとともに山口孝男は前示のごとく加代子孝二に対する扶養をなす以上その生活に余裕のないことが認められるから抗告人正子は、孝男に対し、扶養を求めえないというべく原決定が抗告人正子の扶助の申立を却下した点も相当である。

四、その他職権を以て調査するも原決定を取消すべき事由認め難いから民事訴訟法第四一四条第三八四条第八九条第九三条第一項本文に則り主文のとおり決定する。

(裁判長判事 沢栄三 判事 井関照夫 判事 坂口公男)

(別紙)

第一、抗告人山口孝男の抗告の趣旨及び理由

抗告の趣旨(略)

抗告の理由

被告山口正子は原告が昭和三十年八月○○日以降翌三十一年十一月中旬迄大阪市東成区○○○南○丁目○○○○○○病院に胸椎カリエス治療の為入院加療中の三十一年一月下旬頃原告が一切関知せざる間に、原告は退院して自宅療養中だと詐称して大阪市生野区○○○町五の九、○○○米穀販売所より原告が同居中の実姉大林ョシ(外科医)名儀の米穀通帳を詐取し之を生野区役所に提示、原告の転出証明を受領し、原告の原籍地なる大阪府○○市役所戸籍課にて転入手続を終へ、同時に印鑑登録を済まし印鑑証明数通を入手した。

原告が之を知つたのは、同年二月二十日、病人用外食券を病院に毎月二十日納付する為に手続に必要な米穀通帳を米穀販売所へ借受けに行つた所、被告が詐取してその儘であるとの事で、生野区役所へ架電照会すると原籍地へ一月二十七日に転出済との返事に吃驚して直ちに○○市役所に電話照会の結果、原告の何等関知しない印鑑登録済並に印鑑証明数通を被告本人に手渡した旨の回答に接した時である。

原告は直ちに印鑑届をした事実のない事並に転出の事実もなき事を詳述し、廃鑑届を即日文書に依り同市長宛認め長男山口寛治は携行、届出すと共、被告に対し、書留便にて猛省を促したが何等返答がないので被告の実家中井敏文を通じ再三通帳の返還方を要求したが応じないので三月六日内容証明便にて被告宛重ねて反省を促した所十三日に至り「勝訴の自信があるなら提訴して見ろ」との返答だつた為、原告としては被告が転出証明書を握つて居て、町籍編入の手続きを肯じない為、生野区内では転出の為、又○○市では町籍未転入の理由で一粒の主食の受配も受けられず困却の末、病院から外出許可を得て長女山口和子を同伴し、主食受配の要望の件で三月十七日○○市役所へ行く途中、登記所へ寄つた所原告所有の不動産全部二十数筆時価一千万円が被告名儀に移転登記済なる事を発見して吃驚市役所にて善後策を相談したが提訴以外、方法のない事を知つた仕末である。

別添○○市長から生野区長宛「転出証明書回収方依頼の件に関する回答」(写)の公文書は、被告が常人では到底、行ひ得ないような行為をして然も尚妥当なりと思惟する異状性格の一端を窺知して余りあるものと云はねばならない。

被告の姿なき暴力行為に依て原告は、その後生野区当局の異例の措置に依て救はれる迄、国民に国家が保証した主食だに一粒の受給なき儘に数ヶ月を過し、その間の精神的苦痛は病躯に一入増さるものあるを覚え、加之、被告のかかる不法行為に基き、参院選挙権迄剥奪され基本的人権も何もかも被告の為、蹂みにぢられて速急に回復する事の不能なる状態は、法の盲点とは云え遺憾至極の事であつて終生忘れようとしても忘れ得ざる痛恨事である。

かくして、被告を相手取り、大阪地裁に登記無効、並抹消請求事件昭和三十一年(ワ)一三〇六号提訴、及大阪家裁に離婚調停を求めたが不成立となつたので全地裁に離婚訴訟昭和三十一年(タ)第六五号を提出、目下係争中である。

この間、昭和三十二年三月下旬、大阪家裁光信調査官から召致されて約三十分事情を聴取された事が一回あり、その後、突然六月十四日午前十時、昭和三十二年(家)第二三八七号乃至第二三八九号同居並に扶養請求事件審判書の送達を受けたのであるが同主文前項に対しては承服し難い点があるので異議申立を致します。

一、審判理由書を再読三続して先ず審判官に惜しみなく敬意を表すると共に尚不服とする二-三の点を挙げざるを得ないのを遺憾とします。

(1) 原告が現在、腰権第四、五、骨欠損傷に依る身体障害者であり、回復の見込みなき永久労働不能者である事、昭和三十二年四月○日付○○○○名による辞職承認後官庁事務の都合により八月末迄退職金入手不能の為無収入である事、辛うじて最低生活を維持する保証の恩給も極めて低額(年六万円余)であり、全額支給は五ヶ年先きの事である点を何等顧慮されて居らない点。

(2) 被告は健康に恵まれ、雨の日も風の日も、金光教玉水教会に日参して居る現状で不法横領した原告不動産の外、二〇年程前に原告から贈与した不動産(宅地、畑、田等)を自己名儀の儘確保して居る登記面は畑であつても有姿は原告宅地続きの一筆約三〇〇坪の分は買受希望者数名あり、坪当り三千円以上に評価されて居る外、原告の知人数人から邸内空室の借受け希望も金光教会の指示なりと称して之を拒否し、常に排他的独善の為、収入の途を自らの手で拒み続けて居る状態である。

(3) 原告は被告に不法横領されて居る原告所有の不動産が完全に原告の手に復帰した暁には、沢井審判に対し何等の異議を申立てる筈もないが、被告の有印私文書偽造行使並に公正証書原本不実記載等に依る最も憎むべき智能犯的計画犯行には、何等裁判官として言及されない事実を遺憾とせざるを得ない。又、長男、二男、長女が夫々原告を慕つて被告の下に去り原告と数年に亘り同居して居る事実は被告の異状性格を端的に嫌悪しての事であり再び被告の膝下に帰るの意志の絶無を各自表明し居る一事にても被告人の性状が察知せられると信じます。

又理由書に嘔はれた彼等の収入は、彼等自らの勤労に依て得られたもので原告の収入と混同さるべき性質のものではないと確信する。

以上を綜合して原告としては主文前項記載月額六千円也を捻出する事は現在の状態では絶対不能である為此処に異議を申立てます。

前記理由に基き右決定は失当であると思料するため、茲に抗告に及ぶ次第です。

第二、抗告人山口正子、同加代子、同孝二の抗告の趣旨及び理由

抗告の趣旨(略)

抗告理由

(一) 山口家の家系、家産と抗告人正子、相手方孝男結婚後の事情

山口家は旧幕時代河内国河内郡○○の庄屋の家柄で、明治初年当主市郎の死後、養子良二が家督相続したが、その子、恵子が病死して相続人がなかつたので、相手方を養子として遠縁の大林家から迎え、更に昭和八年山口家の孫娘に当る抗告人正子を養女に入嫁さしたもので、山口家の系図からすれば、正子は山口家の血統を直継しており、相手方は山口家よりすれば血統上直接のつながりがなく、実質上は相手方が入婿である。そして山口家の家産は明治初年には家屋敷の外に田畑三〇町歩内外、宅地一万坪山林十町余であつたが、昭和一〇年相手方が家督相続をした当時は家屋敷の外田畑一三町歩と宅地六千坪、山林約五町歩位残存して、居村に於ては尚上流に位していた。そして抗告人正子と相手方結婚後昭和八年長男寛治、昭和一一年次男雅男、昭和一二年三男昌文、(但し同人は同一七年他家の養子となる)昭和一四年長女和子、昭和一五年次女加代子、昭和一九年四男孝二が出生したが、相手方孝男は○○○府へ奉職し、抗告人正子は家庭にあつて右多数の子女の養育に専念し、家庭に風波を起したことはなかつたのであるが、相手方孝男は家政に無頓着で、子女の養育監護に心を致さず、大阪市生野区○○○居住の姉大林ヨシの勤めを入れ六ヶ月位同家に滯在しては一ヶ月位帰宅しそのようにして昭和二五年頃までつづけ、昭和二六年三月同人方に終局的に転居し抗告人正子ら帰宅を促すもきかず、又昭和二〇年頃より○○○○局の勤務中も収入一切は自分だけが使い、家族に分配しないので、抗告人正子は自分の衣類雑品等を売却したり、その生家の中井家より立替を受けたりして子女を養育して来たものである。又相手方孝男は、昭和二二年の農地買収の際も不当買収に対する手続をとらず、そのため現在は家屋敷と六反歩の小作地を残すのみとなつたが、又宅地の賃料の取立も不行届で、そのため家計はますます苦しくなつた次第である。

(二) 抗告理由の要点

(イ) 抗告人正子の同居申立却下に対して、

(1) 相手方孝男は、胸椎カリエス治療のため入院加療を要すると主張するが、昭和三二年六月○○日離婚事件の裁判で証人大林ヨシは孝男は健康で病気はないと言明したことがあり、同居には差支えはないものと思はれる。

(2) たとい手術した不自由な体でも、家政を治め、子供に対する責任を全うすることができる。

(3) 夫婦生活は肉体のみの生活ではないから、身体の理由でこれを拒む理由はない。

(4) 夫婦間の性格の相違があるといつても、二四年間も夫婦であつたからには、今さら相手の性格が分らぬ筈はなく、互に理解してゆくべきである。

(ロ) 抗告人正子の扶助申立却下に対して、

(1) 抗告人正子名義の不動産は、田約三反、宅地九十坪だけで、その地代は田一ヶ年約三千円、宅地一ヶ年約千円のみで、それだけで生活できない。

(2) そこで抗告人正子は、自分の衣類を売つたり、入質したり、又親類より借金したりしているが、不足のため正子名義の田を抵当にして、○○信用金庫より一四万円を借金したけれども、この利子支払が月約二千円で、この支払も未納の状態である。

(3) そこで長男寛治に相談し、長男は孝男と交渉してその実印を預かり、結局抗告人正子と長男は孝男より全権を委任され、孝男名義の不動産の三分の二を抗告人正子と長男名義に変更したが、相手方孝男はこれに異議を述べ、登記抹消の裁判をおこしたので、抗告人正子はこれを処分することもできず、又その地代も相手方が受取つているのである。尚相手方は右裁判を有利にするため、長男の口をくつがえすべく、長男を自分の許に呼びよせているのである。

(4) 又相手方は抗告人正子名義の宅地四六坪約三反の地代も受取つているので、抗告人正子は税金滞納にて、○○市役所から差押を受けた状態である。

(5) その他抗告人ら居住家屋の一部を他に賃貸しようとしても、修理費用を要するため、どうすることもできず、抗告人正子は裁判所への出頭費用も捻出に苦労する次第である。

(6) 一方相手方孝男は沢山な退職金を受け、預金もあり、前記の如く地代も受取つており、又長男の外、次男雅男長女和子も呼び寄せて同居し、右三人の子は皆給料をもらつているから、抗告人正子を扶養することは十分できるものである。

(ハ) 抗告人加代子、同孝二に月三千円の支払が高校卒業まで認められた点について、

(1) 前記(ロ)(1)乃至(6)に記した如く抗告人正子はその自身の生活にも困る状態であるから、抗告人加代子、孝二に対する扶養の余裕がない。

(2) そこで、加代子の授業料一ヶ月一三五〇円等未納のため、○○○○局○○○○長に五四〇〇円の代払をしてもらつて、高校二年に進級さしてもらつた次第である。

(3) 一方相手方孝男は前記(ロ)(6)に記したとおりでより多額の扶養料を捻出する余裕ある状態である。

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